昔を振り返ってみると、保守的な私でさえ挑戦してみるような気持ちがあった気がしてくる。
慎重な性格ではあるが、とりあえずやってみるというマインドがあった気がする。
そんな堅いものでもないか。
いろんなことに面白そう、やったらどうなるんだろうと興味を持っていた。
今思えば、よく達成できたなと思うようなこともある。
それなりに年齢を重ねてきて、やる前から結果を予想してしまいがちになる。
その結果やらないことが増えている。
やる前から諦めているというか、シミュレーションで完結させてしまう。
2017年ごろにキャンプに興味を持ったけど結局やらなかった。
その後、コロナ禍でキャンプブームになった時に、あの時始めておけば良かったと思った。
そう考えると、2017年頃までは投資を始めたり、いろんなことに興味を持っていたってことなんだと書きながら思った。
もう少し前の話になるが、
誰しも楽器が弾けるようになる姿を夢みたことがあるんじゃないだろうか。
私もその1人だが、ギターを始めてすぐに辞めてしまった。他にもやってみたい楽器があったけどやりもしないでそのままになってしまった。
楽器の場合は、音が出るので家で練習するのが難しい。かと言ってどこかに通うのが時間的に難しい時期だったので諦めてしまった。
そしてそのうち、興味を持っていたことすら忘れてしまった。
思い出せないだけで、面白そうだなと思ってもやらないことがきっといっぱいある。
後回しにしてるうちに、忘れてしまったり。
メモしておいても、結局埋もれてしまったり。
今から始めるのは遅いかなとか諦めてしまったり。
子供の頃は、よくゲームをやっていた。
ジャンルを問わず、いろんなゲームをやった。
友達に借りたものや、気まぐれで買ったものすら楽しめた。
やったことのないソフトでも、友達の家で対戦したり楽しんでた。
どんなジャンルのゲームも何時間でもできた。
ゲームに例えるなら
「やったことないソフトだから、やらない」なんてことはなかった。
このゲームは後回しにしようなんてこともなかった。
常に、今すぐに遊びたい。って感情だけだった。
新しいことを見つけても
面白そうだな、でもやるには準備がいるし時間もないし、、、
と言いながらも、特に目当てがあるわけでもないのに、スマホや動画を毎日2時間近く見ている。
そして、それが何かになったわけじゃない。
何を見たかも忘れてしまうようなものを何年も見続けてる。
そんなことを続けていたら、興味が出てくるものすら減ってきた気がする。
合理性とか効率性とかを考えたら、別にやらなくてもいいこともあるだろうけど、そんなことをしてると振り返った時に何もない人生になりそうな気がする。
それに気づいているのに何もできない自分にモヤモヤしている。
批判的な意味はないが、思い出してみると仕事が忙しくなっていくにつれて、そうなっていったような気がする。
無理難題も乗り越えてきて、仕事が100%になってしまった。
それがダメだとは思わない。
けど、うまく切り替えができなかった。
自分の健康状態も無視してしまっていた。
興味があってもやれてない。はまだ救いようがある。
何にも興味が出なくなった。が今の私の状態に近い。
性格なのか、習慣なのか。
なんでもやってみるような人間になりたい。
いや、そんな人間だったはずなんだ。
そこらへんのモヤモヤが取れない。
やらなくてよかったんだ。って言い聞かせるように生きたら苦しい気もする。
合理的に最小限に今ある物の中から選ぶだけではどんどん小さくなる。
勿論、そうなりたい人もいるし、その人の考え方によって違う。
世界は広がっていくのに、自分で選択肢をせばめると苦しくやるはずだ。
書きながら思い出したが、選択肢が広がることに疲れた時期もあった。
と言うか、疲れてるからこそその余裕がなかったんだと思う。
だから何もしなくなったのかもしれない。
まぁ、何が正解なんてのはきっとないと思う。
今どうしたいか。それだけ。
やったらやったで後悔してたかもしれない。
だから、小さく始めて嫌なら辞めて、またやりたくなったらやる。その気持ちをまた目覚めさせよう。